2本の腕時計

Posted at Sun, 23 Jan 2011 18:37:20 +0900 (JST)

遥か昔、20年以上前の話。

高校に行くようになったとき、他の同級生と同様に腕時計を付け始めた。しかし、慣れない習慣のせいか、3ヶ月後には失くしてしまった。水泳の授業のため更衣室で着替えたときに付け忘れたのだ。

その頃からシンプルなもの、ありていに言えば無地なものにしか興味を示さなかった私は、親からの「腕時計は買うのか?」との問いに「そこらで売ってる、文字盤がシンプルなものを自分で買うから」と、自分の小遣いから3,000円くらいの安物を購入していたので、失くしたときもそんなに痛手では無かったが、それと同時に腕時計を付ける習慣も失くしてしまった。

そのときふと、気難しいことで有名だった、中学の社会科教師が、歴史の授業中に言ったことを思い出した。

「俺は腕時計をしない。腕に輪っかを嵌めるという行為が好きではないからだ。それがなぜ好きではないかと言えば、その昔、奴隷貿易が盛んだった頃、売り物たる奴隷には腕輪をする習慣があることを歴史で学んだからだ。だから今も腕時計ではなく懐中時計を使っている」

中学生の頃は「ふーん」ぐらいに聞き流していたが、腕時計を失くしたときに思い出したせいか、それ以降も腕時計を付けることをしなくなってしまった。尤も、高校にはあらゆるところに時計があったうえ、高校生活はそこまであくせくと時間に追われるようなものでもなかったので、それでも不便ではなかったのだ。これは大学生になっても変わらなかった。

たださすがに社会人になった頃には不便な場面も出て来たので、初めての賞与で懐中時計を買った。懐中時計と言っても洒落たものではなく、俗にいう鉄道時計だ。正確で、周辺の磁力にも耐性が強く、なによりシンプルな構造に目を奪われたからだ。

しかしそれも最初の会社の時だけだった。転職し、通勤スタイルが“スーツとブリーフケース”から“Gパンと手ぶら”になってしまうと、鉄道時計を入れておく場所が無くなってしまったうえ、ちょうど携帯電話を持ち始めたことで、時刻の確認が携帯電話で済んでしまうことが判ってしまったからだ。それ以降も数度転職しているが、腕時計にしろ懐中時計にしろ、時計単体を持つ習慣からは離れて久しい。

そして今、なぜか私の手許には、2本の腕時計がある。

1本は通称「ムーンウォッチ」として有名な、OMEGAのスピードマスター。もう1本もやはりOMEGA製だが、こちらは1953年にイギリス空軍でパイロットに支給されていたもので、Fat Arrowと呼ばれている。どちらも現代には似つかわしくない手巻き式だ。

OMEGAの腕時計たち

スピードマスターについては今更説明するまでもないだろう。NASAが唯一、宇宙ミッションで携行することを許している腕時計だ。アポロ13号で起きた史上最悪の事故でも、3人の宇宙飛行士の命を守ったことでも名声を高めた。

大学を宇宙工学で修了した私のような者にとっては一種の憧れではあったが、この歳になるとどうにかこれを自力で買うことができ、身に付けても時計に負けないようになったと思っている。以前から買おうとは思っていたが、先日の、親友の華燭の宴がグアムで催された際、最近の円高を理由にして、思い切って現地で買ったものだ。現地価格は3,080ドルである。

しかし先述のとおり、私はつい最近まで腕時計をする習慣が無かった。忙しい朝に腕時計を付けることを忘れやしないかと思ったが、そんなことはなく、今では毎日当たり前のように付けている。携帯電話のように、時刻を確認するのにいちいち取り出す必要が無いというのはかくも便利なのかと、今更ながら感心した。我ながらかなりアホなことを言っていると思う。

また、手巻き式の腕時計を長く使うコツとして「毎日決まった時間にゼンマイを巻く」があることを知っていたものの、最初は自分のことながら「毎日できるかなぁ」と心配していた。が、毎日のゼンマイ巻きを習慣付けることは成功した。これは、やはり毎日手入れが必要なライターであるジッポを使っていることも大きかったのかもしれない。帰宅後の風呂を沸かす束の間、ジッポの手入れと同様にスピードマスターのゼンマイを巻く習慣が備わったのだ。

そうなると現金なもので、スピードマスターに限らず、手巻き式の腕時計をどうメンテすれば長く使えるのか調べることが多くなった。その結果はやはりというか何というか、定期的に時計屋へオーバーホールに出すことが良いようだ。出す間隔は記述しているサイトによってバラバラだが、概ね5年ぐらいが目処になっている。OMEGAでは、時計内部で使っている油が摩耗する「2年に1度」を推奨しているらしい。

『じゃぁ、そのオーバーホールしている間の腕時計はどうする?』

まさかもう1本、スピードマスターを買うというのも面白くない。それにオーバーホールに出すとしても、早くて2年後だ。そのときに考えれば良いや…と思っていた矢先に見付けたのがFat Arrow、正式名称「The Royal Air Force 1953 Ref.ST2777」である。

まさに私が最初に買って早々に失くした腕時計と同じ、やたらシンプルな文字盤とその佇まいに目が釘付けとなった。ここまで装飾や機能が無い、判り易いものがOMEGAから出ていることにも驚いたが、色々調べると、イギリス空軍用に1953年にだけ特別に生産・支給され、当然のことながら市場に出回っている数は少なく、最近までOMEGAがその存在すら公表していなかったらしいこと、ここまで状態が良くオーバーホール済のものはなかなか手に入らないこと等が次々と判明した。

2週間ほど悩みに悩んだが、結局買ってしまった。ハッキリ言えば新品のスピードマスターより高価だったのが悩みの原因なのだが、いざ購入し、添付されたOMEGA社による修理明細書を読んで高価の原因を理解した。昨年8月時点で修理に約15万円掛かっていたのだ。さすがOMEGA、57年前の時計をいとも簡単に修理できることも驚きだが、部品があることにももっと驚いた。この修理では時針と分針が新品と交換されているのだが、デッドストックがあったのだろうか。

Fat Arrowを購入した店員曰く「アンティーク品なので、ひょっとすると1日で1分ぐらい誤差が出るかもしれません」とのことだったが、とりあえずここ数日動かしてみても、新品で買ったスピードマスターと同じ精度を保っていることが判っている。これならふだん使いの時計にしても問題無いだろう。自慢ではないが、今常用しているジッポも、1948〜49年にだけ生産された、通称「3バレル・ヒンジ」と呼ばれるアンティーク品(ジッポの世界ではビンテージ品と呼ばれる)で、そのテの品物の扱いには慣れているつもりである。

こうして、遥か20年の時を越え、再び腕時計を付けるようになった。これからはその日の気分でどちらかを付けるようになるだろう。きっと私より長生きするであろうこの時計達を、大切に使っていきたいと思う。