忘却の整理学
現在在籍している会社を今月いっぱいで退職することは以前ここでも触れたが、目出度く先週末で退職処理を全て終えたので、この週末から来年1月4日までの約3週間、好き勝手な生活ができる時間を手に入れることができた。尤も今はまだ後遺症のようなものが残っており、朝5時頃には目覚めて15時には寝てしまうのだが、今にそれも現代の人間らしい生活時間帯に戻ることになるだろう。
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以前から発売を楽しみにしていた本に『忘却の整理学』(外山滋比古・著、筑摩書房・刊)があった。
2007年春、今の会社(=今年いっぱいで辞める会社)のあまりの莫迦莫迦しさに愛想を尽かし、本を読むことで現実から逃避しようか等と考えていたのかどうか知らないが、時々行くようにしている紀伊国屋書店新宿本店をぶらぶらしていたとき、2階の文庫本コーナーに、帯にある“もっと若いときに読んでいれば” というキャッチーなコピーで、同著者による『思考の整理学』が平積みされていたのを見付け、思わず購入したのだ。
読み進むうちに「なるほど!」を膝を打つことが何度もあった。自分の経験から改めて確認できる点もあり、著者による「思考を整理する方法」も形こそ違えやっていたものの、それらを活用できていなかった理由も思い知らされ、確かに「もっと若いときに読んでいれば」と当時32歳の私は悔やんだ。丁度ゴールデンウィークに実家に帰ることになっていたので、その車中でも、また実家に帰ってからも読み返した。この歳になると実家に帰ったところで特段やることは無く、顔を見せることが用事なのだから、両親も私が文庫本を読んでいることについてとやかく言うことは無かった。
その続編が、今回発売された『忘却の整理学』である。私は遅読なので本書もまだ途中までしか読んでいないが、文庫化を待たずに購入して良かったと思える本であることは間違い無さそうだ。
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特に共感を覚えるのが「記憶と忘却で編集される過去」という節だ。製品のカスタマサポートなんてやっていると特に思うが、顧客というのは自分に都合の良いことはとにかくよく覚えているものの、こちらが何度も指摘する「やってはいけないこと」「ダメなこと」は覚えちゃくれないということだ。幸い今ではE-mailという武器があるので、過去の送受信履歴をそのまま顧客との応答に使えるため、この種のトラブルは少なくなりつつあるが、「急ぎで対応してくれ」と電話という口頭伝承のみでサポートする羽目に陥ると覿面にこの事象は現れる。それこそ「言った」「言わない」の水掛け論に終始することもあり、時として大問題に発展する。だからこそ、カスタマサポートの大原則は『「いつ・誰が・何を言った(伝えた)のか」を逐一記録しなければならない』ことなのだが、これは今までの数社での経験則で無理矢理体得させられていたし、今の会社(=今年いっぱいで辞める会社)でカスタマサポートの責任者らしきことをやらされていたときにも実際の担当者に口酸っぱく言い続け、まず最初に私が取り掛かった作業は、これらの履歴を全て保存できるデータベースシステムの構築だった(といってもそんなに大袈裟なものではなく、Webに転がっているCGIスクリプトを若干加工し、MySQLにぶち込むようにしただけだ)。
顧客ならまだ良い。暴言だが、こちらが謝れば済む場合が殆どだからだ。これが社内の人間ともなるともっとタチが悪い。私は今の会社(=今年いっぱいで辞める会社)で何度喧嘩したか知れない。あまりに幼稚な連中しか居ないからかもしれないが、電話越しとはいえ社内で怒鳴ったのは社会人13年目で初めての経験だった。
カスタマサポートなどという短期間でもそうなのだ、幼少の記憶がどうしてありのままに記憶されていようか。己の都合の良いように美化されるのも無理からぬ話だ。それに大きく寄与しているのが「忘却」であり、また「忘却している箇所」が「その人の個性に依る」というのも大きく頷けた。
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しかも著者が『「忘却」しないことには新しいことを産み出せない』ことを看破している(それが本書の主題でもある)ことも、私の経験と合致しており、非常に心強いものがあった。障害対応で妙案を出すには、最低限の知識は必要なものの、それ以外は頭の中を空っぽにしていないと浮かんで来ないものだ。
あらゆる知識は私より遥かに持つ優秀な部下が、傍から見たら非常に簡単な障害対応でうんうん唸りながら悩んでいることが何度もあったが、訊いてみると、己が持つ知識や常識が邪魔をして、そこが障害箇所である可能性を排除していたのだ。このときは「なんで俺より知ってるはずの彼が、あんな簡単なところで引っ掛かるんだろう?」と不思議に思っただけでやり過ごしてしまったが、本書を読むと、その理由がいとも簡単に何度も出て来る。ただ知識だけを頭に固めてコンソールと睨めっこしているだけでは障害対応はできないものなのだ。
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『思考の整理学』は、2008年の東大・京大の生協で最も売れた本だそうだ。四流理系単科大学を必要卒業単位スレスレで卒え、かれこれ13年経過した私よりは遥かに知識を持つであろう若者が、どういった視点でこの本を読んでいるのか知る由もないが、頭のなかに溜まった澱のようなものを取り除いたり、別の思考に昇華させるには恰好の著書であることは間違いない。
巷の、特に理系と分類される学科を出た人の中では「(この本の方法は)ちょっとノンビリし過ぎで、日進月歩どころか秒進分歩の現代では使えない」と断じる向きもあるようだが、決してそんなことはないと私は考える。切迫した状況だからこそ、どこかで頭を休めて「忘却」を進める必要があり、そのぐらいの時間は与えられるものである(それすら許されないような現場では、この本の内容を言うことすら憚られよう)。恐らくこれからも何度か読み返すことになろう両書は、しばらく手許から離れそうにない。
さて、続きを読もう。