Archive for June, 2015

ラジオ番組グッズGet

Posted at Sun, 14 Jun 2015 11:29:29 +0900 (JST)

どうやら致命的な不具合は無いようなので、このblogを運用しているOSをDebian WheezyからDebian Jessieへのアップグレードした。しばらくは細かな問題が起きるかもしれない。

久々にラジオ番組のグッズを貰った。現行の昼ワイド番組でいちばん面白い、TBSラジオ『たまむすび』に送ったメールが採用されたからだ。

パッチンガム&ステッカー

ラジオ番組のグッズを貰ったのは、高校3年のときに「加藤いづみのオールナイトニポン」以来だ。この番組では最終回(1993年11月1日)に電話での録音メッセージもオンエアされて感激した。その時に同録したカセットテープも残している。形ばかりの受験勉強をしているとき、オンエア5時間前に突然ニッポン放送から自宅に電話が入り「メッセージを」と言われ、我ながらツマラナイ話をしたので不採用だと思っていたら採用されたのだ。この電話に最初に出た母親は、いきなりのニッポン放送からの電話に「あんた、何かしたの?」と訊かれたことまで思い出した。かれこれ22年前の話である。

私の趣味のひとつに“ラジオ”がある。

“ラジオ”とだけ書くと意味不明だが、“聴く”ことと“自作する”ことなので、こうとしか書きようがない。

1975年生まれの私にとって、深夜放送と言えばニッポン放送が全盛期で、「ビートたけしのオールナイトニッポン」にもギリギリ間に合った世代だ。その後は22時台の「三宅裕司のヤングパラダイス」だったり「伊集院光のOh!デカナイト」だったりから、25時台の各曜日のオールナイトニッポンをずーっと聴いていた。特に『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』にはド嵌りし、その週の同録を高校への登下校中にずっと聴いていたり、番組から出たCDを放送委員であることを良いことに昼休みに校内で流したりしたのだ。日本武道館で開かれたコンサートの抽選に漏れたのは今でもちょっと悔しかったりする。

もっとも、深夜に限らず、昼間も聴いていた。相変らずニッポン放送だが、土曜14時の「タモリの週刊ダイナマイク」とか日曜09時の「裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30!」とか。

なぜニッポン放送に偏っていたのかというと、実家がある地元ラジオ局の番組があまりにつまらなかったこともあるが、ニッポン放送が直接クリアに聴取できるギリギリのエリアだったことも大きい。同じ東京キー局であるTBSや文化放送はフェージングが酷く聴取不可能だったのだ。この体験が“東京方面の大学に行きたい”という思考に繋がっていく。

辛うじて東京に所在する大学に入れた後も、この習慣は変わらなかった。それまでも受験勉強を隠れ蓑に高校時代から昼夜逆転生活を送っていたが、大学に入るとそれが本格化する。寧ろ、受信環境を格段に向上させるのに成功したことで“ラジオを聴くために昼夜逆転した”といっても過言ではないぐらいだった。卒業研究以外の単位をほぼ取り終えた大学3年の後期になると、大学には必修の実験がある木曜午後しか行かず、それ以外はずっとラジオとゲーム(当時は初代プレイステーションが出たばかりだった)三昧の日々だった。

社会人になった1998年には昼ワイド番組「テリーとうえちゃんのってけラジオ」が始まるが、新卒社会人がいきなり昼ワイドを聴けるような業務には就けないので、MDにタイマー録音したものを帰宅後に聴いていた。

が、「のってけラジオ」が終わった頃から急速にニッポン放送の番組がつまらなくなり、TBSラジオに乗り替える。それまでも聴いていた日曜13時の「伊集院光 日曜日の秘密基地」が非常に面白かったことが直接の理由だが、これ以降はほぼTBSのみだ。深夜帯も「オールナイトニッポン」から「Junk」になり、今に至るのだ。

『たまむすび』についえ言えば、同い歳の赤江珠緒という人がこうまでツッコミどころ満載な人だとは思わなかった。正直な話、TBSは思わぬ拾い物をしたというところではないだろうか。昼食後の、ちょっと眠気を誘う時間帯に放送される昼ワイド番組で、政治だ経済だと固い話を延々されても真面目に聴く気は起きず、『たまむすび』ぐらいの力の抜け具合が合っているのだと、個人的には考えている。聴いた後にほぼ何も残らないところも素晴しい。なんだか鬱屈した世情の現在であれば、そこからしばし離してくれるような番組が生き残るのだろう。

『たまむすび』は、会社から帰宅する道すがら、radikoで録音したものを聴いている。常用している自宅PC(Debian)とオモチャとして買ったRaspberry Pi B+をそれぞれradiko録音サーバに仕立て、cronで録音設定し、生成されたmp3ファイルを退社前にスマートフォンへダウンロードしているのだが、ひと昔前ならこんな手軽にはできなかった。先述のとおり、ラジオのタイマー録音を帰宅後に聴くのが精々だ。そのメディアもカセットテープからMDになり、今ならICレコーダでmp3だろう。

ここまで聴取環境が整っているにもかかわらず、今、ラジオは受難の時代だ。ほんの4年前にあれだけ大きな地震に遭い、そのとき情報源としてラジオが大活躍したのに、だ。

そして今、総務省は、AMラジオ局のFM化を推進しようとしている。これは忌々しき問題だ。

ラジオを自作すると解るが、AMラジオは最悪、ダイオード・バリコン・クリスタルイヤホンがそれぞれ1個と、1mぐらいの銅線があれば、電池も要らずに受信可能になる。小学生だった私はこのゲルマラジオを作って「おおっ」と感動した。それにトランジスタと電池がそれぞれ1本加わればもう立派なラジオだ。災害発生後、電池が無くとも比較的冷静かつ正確な情報を受け取ることができるのは大きなアドバンテージである。

が、FMラジオとなるとそうは行かない。FMでもゲルマラジオっぽいものは作ろうと思えば作れるものの、必須のパーツに“FCZコイル”が加わる。しかし、このFCZコイルが曲者で、現在では製造していないのだ。

「スマートフォンにはFMラジオ受信機能があるじゃないか」とおっしゃる向きもあろうが、スマートフォンはバッテリの持ちが非常に悪いことを忘れている。『2日持てば上等』という現在のスマートフォンのバッテリで、何日も受信し続けることができるだろうか? バッテリが切れたとしても、再起動できるまで充電できるような状況を作れるのだろうか?

電池が要るAMラジオでも鳴らし続けたとて100時間以上は持つで、ハッキリ言えば比較対象にすらならないのだ。

AMにはAMの、FMにはFMの、それぞれ特長や特性があるが、こと“受信環境の整備”という点ではAMに勝るものは無い。名目上は「AMラジオの難聴取対策」ということで、今年末から首都圏のAM局でもFM波による補完放送「ワイドFM」が始まる。電波の発射は全局とも東京スカイツリーだ。だがこれは首都圏AMラジオ局の送信設備更新時期と一致する。送信設備費用を比較するとAMよりFMのほうが安いうえ、各局が独自に持っている送信アンテナのメンテナンスが不要になるため、ラジオ局の経営者からはコスト削減しやすいように見えることも気になる。

AMラジオ局がAMラジオ局たる矜持を棄てるのか。または棄てさせるような国策とするのか。この問題は思った以上に根が深いことは確かだ。